大森立嗣 監督
黒木華、樹木希林
2018年公開。
にちにちこれこうじつ
と読むらしい。
意味は、毎日毎日が素晴らしい。という禅語だと。
原作著者には、
「雨の日は雨を聴く。雪の日は雪を見る。夏には暑さを、冬には身の切れるような寒さを味わう。どんな日もその日を思う存分に味わう。」
雑念を払って目の前にあることを感じることが豊かになると。
なるほど・・自分を振り返り行動を恥じた。
朝の忙しい時間帯の自分の朝食はキッチンで立ち食いしながら次の支度をする。
まず食というものに向き合ってない。
映画はお茶を通じて一人の女性が成長していく話。
「お茶はまず形から。先に形を作っておいて、後から心が入るもの」
(樹木希林のセリフ)
お茶の習い事
こんな私でもだいぶ昔、裏千家のお茶を一年間だけ習ったことがある。(ちなみに映画は表千家)
きっかけは当時演劇スタッフの仕事をしていた頃、扇風機のスイッチを足でつけたり切ったりしていてとうとう注意された。
時に歌舞伎関係の人たちとも一緒に仕事することがありいろいろしきたりがある。その時にこのお行儀の悪さが露呈しないためにもお茶でも習っておこうと思ったのがきっかけ。
いざ習ってみると、立ち居振る舞い、作法の形、決まり事が多すぎてとても覚えられない。
歩く一歩一歩もすり足、半畳を三歩、畳の縁は踏まない等、決まりがあって考えながら動くとロボットのようになる。
いったいなんの意味があるの・・
柄杓での手の洗い方、口のゆすぎ方、ふすまの開け方、扇子を前に置いて床の間の掛物を見る、その前後に一礼する・・等々。
動き方ひとつひとつ決まりがあって目が回る。
足は痛いし緊張するし、何度もやめようと思った。
究極のおもてなしの形
しかし習っていくうちにひとつひとつの動きに意味があるということが分かる。これは究極のおもてなしスタイル。
そして究極に無駄のない動きなのです。
そしてあの独特の緊張感や空気感に馴染むことで普段の生活も落ち着いて物事を考えることができ、いちいち一喜一憂しなくなる。
これが不思議。
やはり禅の効果でしょうか。
和室に入る前にまず襖を少しだけ開けるのは、お客に入りますよ、ということをお知らせするため。
そしておもてなしを受けた側、お茶を飲んだ後ズズっと音を立てるのは一滴も余すところなく全て美味しくいただきましたということを伝える意味。
招いた側のお客様に対する気持ちと、そのおもてなしを受けた側の受け方。
とにかく形全て無駄がなく相手を想う究極の振る舞いの形。
たった一年間習っただけで得たものはとても大きかった。
しかし!
あれから何十年も経った今、また扇風機のスイッチを足で・・
この映画と出会って再びお茶の精神を思い出したのも偶然だけど必然的な流れだったような気がします。
「日日是好日」
どんな日もその日を存分に味わう。
目の前にあることを感じる。
忘れないようにしたい。