先日の展示で出した一枚

桜が満開。

私にとっていちばん季節を感じるもの。

桜の満開を見るたびに今年も健康で桜を見る事ができたと感謝する。

おばあちゃん達が嬉しいとか感謝を感じる時、すぐに両手を合わせてスリスリする気持ちがようやくわかった。そうなるんだね・・・っていやいやまだ早い。

人生も折り返しを過ぎるとだんだんそんな気持ちになってくるんだと自分でも驚く。

当たり前の日常が実は全く当たり前ではないということがわかってくるから、ひとつひとつの出来事に感謝する。

それを気づかせてくれるもののひとつが私にとっては桜。

いろいろ思い出す。

母の後ろ姿、子どもと花びらで遊んだ頃・・

ノスタルジーに浸って少し泣けてくるという不思議な魔力をも持つ桜。

そろそろ花は散って、だんだん緑の葉っぱが出て、また散って、冬はつんつるてんになって寒さに耐えてるだけかと思いきやよく見るとちゃんと蕾が少しづつ大きくなって準備している。

コロナだろうがなんだろうが人間社会に振り回される事なくこのサイクルを淡々と繰り返す。

植物はすごいなぁなんていつも思う。

そういえば少し前、テレビで感染症専門家の北村さんが、緊急事態宣言の解除はまだ早いと。

「人はピンク色を見ると興奮するんですよ、桜を見に行っちゃうんですよ。だから解除はまだ・・・」と真剣に言っていた。

確かに。

桜の魔力に引きつけられる私たち。

今年は桜の下で大騒ぎしている人がいなかったからよけいきれいに見えた。

静かに見ている方がいい。

なんだかんだともう散る頃か・・

これがまたたまらん美しさなんだ。

花が散って緑の葉が顔を出し、自分の気持ちの切り替えも促してくる。

さぁーて!

街路樹の足元で今度はツツジが足踏みして待っている。

これも楽しみ!

ツツジの蕾がたくさん付いている公園の横に唐揚げ屋さんが出来た。

唐揚げでも買って帰ろう。

他人の評価

結果的によかった

自分が思っている自分と、相手が思っている自分とは差がある。

これは絵のはなし。

昨年2月、ちょうどコロナがだんだん近くに迫ってきたと感じる頃。

いろんな教室で講師もしているイラストレーターのUMさんに絵を見てもらえる機会があり、私の作品ファイルも見てもらった。

ファイルをわかりやすくするため側面に風景、人物・・というカテゴリーに分けた事務用のインデックスを貼って緊張しながら渡す。

まず作品を見る前にインデックスを見て、

「今、まだこれあるのね・・」とニヤッと笑うUMさん。

そして他の人たちに向けて、

「作品も大事だけど、印象に残るようなファイル作りも大事」と私の作品ファイルを掲げながら言う。

「あなた、つかみはOKよ」と言われた。

狙ったつもりは全くない。

ちょっと恥ずかしくなった。

インデックスを事務用のものではなく、もう少しおしゃれなタイプのものにするべきだった・・とその時後悔しつつもかえってそれが目に止まったらしい。

しかもその時描いていた絵は、映画の絵やファッション系の人物や洋服の絵が多く、オシャレ感を出していたつもりだったから余計に恥ずかしかった。

まぁ、結果的に良かったんだけど・・

ひと通り見てくれて最終的には「このままいきなさい、あなたの世界観が出てるから」とわりと評価してくれた。

嬉しかったけど、少し複雑な気持ちだった。

一昨年、雑誌の挿絵の仕事をした時、担当の編集Kさんから言われたのは「とにかくオシャレに描いてください」というオーダー。

題材が「痴漢」というテーマで、痴漢男を先入観ではなくKさんの注文通りオシャレに描いた・・・つもりだった。

何点かあるうちの1点の絵を見て、

編集のKさん:「これいい!このモテなさそうな感じが絶妙!」と言われて複雑になった。

・・・まぁ、結果的に良かったんだけど。

ここでもまた少し自尊心が傷ついた。

今その時の絵を見ると、編集の人が言っていたとおり確かにモテなさそうな男性で思わず笑ってしまった。オシャレにしているけどどこか痛い感じの。

時間が経つと見えてくるあるある。

今でもそれはよくあることで。

自分の絵の評価と、他人が見る自分の絵の評価のズレが面白い。

「他人の評価は気にしない」ということも大事だと思う。

私は、信念は持ちつつも人によってはアドバイスや指摘を素直に聞き、他人の反応や評価というものも時に指標にし、気にするのではなく楽しみたいと思う。

絵の具が余ったので、是枝監督映画「海よりもまだ深く」に出ていた真木よう子を描いてみた。

すばらしき世界

余った絵の具がもったいないので梅を描きました

朝のルーティーン

今朝もまた怒りました。

新聞を読んだ後はいい気分になったことがありません。

新聞だけではなくヤフーニュースやグーグルも。

政治、世界情勢、社会面の事件の数々・・・

どんより、時に怒りを感じ、不健康な朝のルーティーン。

じゃあ、見なきゃいいじゃないかって話。

しかし今起きている現実の事を知って、自分なりに考えること。それが大事だと思っていて。

だから朝はめらめらと怒ってます。

「すばらしき世界」

監督:西川美和

主演:役所広司

今公開中の映画。

いい映画でした。これはおすすめ。

役所広司がとてもいい。

長い刑務所生活を終えた主人公が、新たな生活に向けて頑張って行こうとする実話をもとにした作品。

一生懸命世の中に適応しようとする姿がとても不器用で真っ直ぐで泣けてくるし、時に笑ってしまうし。そしてあったかい。

西川美和監督の作品をいろいろ見てみたいと思う。

「蛇イチゴ」、「ゆれる」←こちらは役所広司がパンフレットでおすすめしてたので見てみたいと思う。

シネマトゥデイのYOU TUBE、西川監督のインタビューで役所広司を選んだ理由について、「役所広司さんを選ぶってずるいですよね・・でもこの作品、絶対に勝ちたいと思ったから」と。

そう、役所広司を選ぶのはずるいです。

いいに決まってるから。

でも役者の良さだけではない監督のあたたかい眼差しもなんかホッとします。

ちなみに三◯幸◯はもっとずるいです。

豪華俳優をふんだんに使う。

しかし、豪華俳優陣を並べるだけ並べてもいい作品になるとは限らないということを証明しました。(嫌いじゃないけどね)

朝は相変わらず新聞を見て怒ってますが、この作品を観た後、特に社会面を読んだ後はいつもと違った、ちょっとなんとも複雑な感情になった。

富士登山5(最終章)

富士登山4からのつづき(少し長いです)

夜の須走下山道

バイクのような車輌が通る音に向かって少しづつ、少しづつ、杖で先をツンツンしながら進む。

しばらく進むと今度は遠くの方から光がチラチラするのが見えた。

(誰か来る)

誰かが登ってくる。きっと夜から登って頂上でご来光をみる予定の人たちだった。

その光を見ただけで助かったーーと安堵。

もうこれで焦らないで大丈夫だと思った。

この安心感といったら。

そして懐中電灯を持った登山者と距離がだんだん近づいてきていよいよ至近距離になった時、その登山者が「ギャーー!」と悲鳴を上げた。

懐中電灯を照らしていた先に女の人の顔(私)が照らされたから驚いたのだ。

「人がいる!!」って言われた・・

もしかして幽霊?というような目で見られた。

そりゃそうだ。まさかこんな真っ暗な夜の富士山で懐中電灯を持たないで歩く人がいるなんて思わないだろう。

驚かすつもりはないんだけど。

続々と夜の登山者が増えてきた。

すれ違う度に悲鳴を上げられた。

だんだん増えてきた登山者たちの懐中電灯の光で足元が見えてきた。

すれ違う登山者は、私を異様な目で見ていた。

そしてなんとか助かった・・という安心感。

安心したところで足が棒のようになっているのがわる。

疲れた足を「足が棒のようになる」と表現がある。本当に棒みたいになって曲がらない・・。

あの時から何十年もたった今、足がそんな風になった経験はない。

人の多さでもうすぐ5合目だと感じる。

思うようにコントロールできない棒になった足で少しづつ進んだ。

今何時だろう・・。

やっと時計も見えてもうすぐ9時。

そんなこんなでやっと5合目。

5合目到着(なぜか御殿場)

帰りのバスもない。タクシーもない。

お土産屋も観光案内も全て閉まってる。

どうやって帰ったらいいんだろうと途方に暮れそうになった時、一軒のお土産屋のシャッターを閉めているおじさんがいた。

そこへ躊躇なく飛び込んだ。

一連の事情を話して、宿、タクシーを紹介してほしいことを伝えた。

おじさん:「昼に登って夜下山って・・・無茶苦茶な。そんな人初めて見たわ。よく怪我もしないで下山できたね・・」と穏やかに言っていたのも束の間、

「山を舐めてる!!あんたは山を舐めてる!」

怒られた。

その通り。怒られて当然でした。

そのお土産屋のおじさんから宿一覧表を見せてくれた。

その時初めて自分の場所が静岡の御殿場5合目だと知った。

あれ?山梨から登ったはずなのになぜ静岡にいるんだろう。

まぁいいや。

電話を借りて宿表の上から順番に電話をし何軒目かで予約がとれた。朝食付き一泊5千円以下だったと思う。おじさんがタクシーを呼んでくれてなんとか下山することが出来た。

ちなみに5合目まで迎車、そして御殿場の宿までタクシー代1万円くらいかかってクラクラしたのを覚えている。

宿到着(宿名も場所も覚えてない)

古びた安宿に到着し、そこの女将が私の姿を見てなんとも不審そうな顔で見られた。ものすごいドロドロの格好の若い女の人が杖持って変な時間帯に宿に来るって。変に思うのは当然だった。

女将「お風呂もお湯が少ないかもしれませんけど入ります?」

私「入ります!」

少なくなったお湯に体を平ぺったくして入った。それでもあったかくて「あ〜〜〜助かった〜〜」って初めて体の緊張が取れて心底ホッとしたのを覚えている。

怒りの電話

そして部屋からうちに怒りの電話。

「お父さん!お父さんが富士山なんて日帰りできるって言ったから登ったんだよ!そしたら大変な目に遭って・・・・」

それから何を言ったか覚えてない。とにかく怒りを父にぶつけた。

こうなったのは父のせいだ!と責任を押し付けた。

今思えば悪いのは明らかに自分。

父は無謀な登山をしたことに呆れながらとりあえず無事だったことに安心し、私の怒りに対して「俺そんなこと言ったか??俺が登った時は8合目で山小屋に泊まったぞ!」

なんだって!!

8合目で泊まったあ???

父が晩酌しながら呟いていた言葉がオーバーラップしていた。

(富士山なんて1日で登って降りて来れる・・・)

確かに父は一言も自分が登った時のことは話してない。飲んでた勢いであんな言葉が出てしまっただけ。しかしなぜあの一言を真に受けて富士山に行こうと思ったのか・・。

だから今、子どもの前ではいい加減なことは言えないなと気をつけている。

あれから何十年も経った今、まるで武勇伝を語るようにブログに書く「今」があってつくづく生かされたんだなぁ・・と思っている。

<運が良かった3点>

1.天候が良かったこと。

2.下山が砂地の多い須走下山道だったこと。(真っ暗の中、岩場の下山道はかなり危険)

3.杖があったこと。(先に何があるか、そして無いかがわかる)

もうあんな無茶なことはしないけど、リサーチもしないで思いつきですぐに行動してしまうところは今も変わってない気がする。

次の朝旅館を出て、なぜ山梨からスタートしたのに静岡にいるのか疑問に感じながら行きの中央線ではなく新幹線に乗って東京へ無事帰りました。

(1週間ほど全身が痛くてバキバキだったのを覚えています。)

そして翌年の夏、富士山から見たあの壮大な景色が忘れられなくて、性懲りもなくまた富士山へ旅立つのでした。

おわり。

(長くなってしまいました。読んでいただいてありがとうございました。)

富士登山 4