富士登山4からのつづき(少し長いです)
夜の須走下山道
バイクのような車輌が通る音に向かって少しづつ、少しづつ、杖で先をツンツンしながら進む。
しばらく進むと今度は遠くの方から光がチラチラするのが見えた。
(誰か来る)
誰かが登ってくる。きっと夜から登って頂上でご来光をみる予定の人たちだった。
その光を見ただけで助かったーーと安堵。
もうこれで焦らないで大丈夫だと思った。
この安心感といったら。
そして懐中電灯を持った登山者と距離がだんだん近づいてきていよいよ至近距離になった時、その登山者が「ギャーー!」と悲鳴を上げた。
懐中電灯を照らしていた先に女の人の顔(私)が照らされたから驚いたのだ。
「人がいる!!」って言われた・・
もしかして幽霊?というような目で見られた。
そりゃそうだ。まさかこんな真っ暗な夜の富士山で懐中電灯を持たないで歩く人がいるなんて思わないだろう。
驚かすつもりはないんだけど。
続々と夜の登山者が増えてきた。
すれ違う度に悲鳴を上げられた。
だんだん増えてきた登山者たちの懐中電灯の光で足元が見えてきた。
すれ違う登山者は、私を異様な目で見ていた。
そしてなんとか助かった・・という安心感。
安心したところで足が棒のようになっているのがわる。
疲れた足を「足が棒のようになる」と表現がある。本当に棒みたいになって曲がらない・・。
あの時から何十年もたった今、足がそんな風になった経験はない。
人の多さでもうすぐ5合目だと感じる。
思うようにコントロールできない棒になった足で少しづつ進んだ。
今何時だろう・・。
やっと時計も見えてもうすぐ9時。
そんなこんなでやっと5合目。
5合目到着(なぜか御殿場)
帰りのバスもない。タクシーもない。
お土産屋も観光案内も全て閉まってる。
どうやって帰ったらいいんだろうと途方に暮れそうになった時、一軒のお土産屋のシャッターを閉めているおじさんがいた。
そこへ躊躇なく飛び込んだ。
一連の事情を話して、宿、タクシーを紹介してほしいことを伝えた。
おじさん:「昼に登って夜下山って・・・無茶苦茶な。そんな人初めて見たわ。よく怪我もしないで下山できたね・・」と穏やかに言っていたのも束の間、
「山を舐めてる!!あんたは山を舐めてる!」
怒られた。
その通り。怒られて当然でした。
そのお土産屋のおじさんから宿一覧表を見せてくれた。
その時初めて自分の場所が静岡の御殿場5合目だと知った。
あれ?山梨から登ったはずなのになぜ静岡にいるんだろう。
まぁいいや。
電話を借りて宿表の上から順番に電話をし何軒目かで予約がとれた。朝食付き一泊5千円以下だったと思う。おじさんがタクシーを呼んでくれてなんとか下山することが出来た。
ちなみに5合目まで迎車、そして御殿場の宿までタクシー代1万円くらいかかってクラクラしたのを覚えている。
宿到着(宿名も場所も覚えてない)
古びた安宿に到着し、そこの女将が私の姿を見てなんとも不審そうな顔で見られた。ものすごいドロドロの格好の若い女の人が杖持って変な時間帯に宿に来るって。変に思うのは当然だった。
女将「お風呂もお湯が少ないかもしれませんけど入ります?」
私「入ります!」
少なくなったお湯に体を平ぺったくして入った。それでもあったかくて「あ〜〜〜助かった〜〜」って初めて体の緊張が取れて心底ホッとしたのを覚えている。
怒りの電話
そして部屋からうちに怒りの電話。
「お父さん!お父さんが富士山なんて日帰りできるって言ったから登ったんだよ!そしたら大変な目に遭って・・・・」
それから何を言ったか覚えてない。とにかく怒りを父にぶつけた。
こうなったのは父のせいだ!と責任を押し付けた。
今思えば悪いのは明らかに自分。
父は無謀な登山をしたことに呆れながらとりあえず無事だったことに安心し、私の怒りに対して「俺そんなこと言ったか??俺が登った時は8合目で山小屋に泊まったぞ!」
なんだって!!
8合目で泊まったあ???
父が晩酌しながら呟いていた言葉がオーバーラップしていた。
(富士山なんて1日で登って降りて来れる・・・)
確かに父は一言も自分が登った時のことは話してない。飲んでた勢いであんな言葉が出てしまっただけ。しかしなぜあの一言を真に受けて富士山に行こうと思ったのか・・。
だから今、子どもの前ではいい加減なことは言えないなと気をつけている。
あれから何十年も経った今、まるで武勇伝を語るようにブログに書く「今」があってつくづく生かされたんだなぁ・・と思っている。
<運が良かった3点>
1.天候が良かったこと。
2.下山が砂地の多い須走下山道だったこと。(真っ暗の中、岩場の下山道はかなり危険)
3.杖があったこと。(先に何があるか、そして無いかがわかる)
もうあんな無茶なことはしないけど、リサーチもしないで思いつきですぐに行動してしまうところは今も変わってない気がする。
次の朝旅館を出て、なぜ山梨からスタートしたのに静岡にいるのか疑問に感じながら行きの中央線ではなく新幹線に乗って東京へ無事帰りました。
(1週間ほど全身が痛くてバキバキだったのを覚えています。)
そして翌年の夏、富士山から見たあの壮大な景色が忘れられなくて、性懲りもなくまた富士山へ旅立つのでした。
おわり。
(長くなってしまいました。読んでいただいてありがとうございました。)
富士登山 4