富士登山 2

思いつきで決めた登山道

前回のつづきです。

早朝の西武線、そして中央本線に乗って大月駅まで約2時間半、3時間くらいかかったと思う。

そこからバスで富士五合目へ。

なぜ静岡側の御殿場からではなく山梨側の大月を選んだのか。

選んだ理由も深い理由はない。

ただ中央線の方が馴染みがあったから大月を選んだのです。

静岡側、山梨側とそれぞれの登る景色や山道を調べたりとか、そんな下調べもしないで全て何となくの思いつきで決めたわけです。

山の怖さは天気の急変

そして、さぁ登るぞと思った時刻はすでに11時近かった。

五合目はほとんどが岩山。

後に登り始めた登山道が初心者向けと言われている吉田ルートだとわかった。(結果的にそこでよかった。そのことすら調べていなかった)

注意書きには、落石の原因になるので石を投げたり蹴ったりしないでくださいと張り紙があった。

五合目登山口の横に神社があって無事を祈って参拝し、いよいよ開始。

同時間に登る登山客数はけっこういて、皆お喋りしたり撮影したりワイワイ。

登る者と下山する者とすれ違うときは「こんにちは」と声をかけ合っていて登山のルールみたいなものがあるんだと少し驚いた。

私も小さな声で「こんにちは・・」と。

6合目まで1時間もかからなかったように思う。しかし6合目に着いた時けっこうきつくて休憩所のようなところで杖を購入。

6合目でこんなに疲れてしまって、しかも今日のうちに頂上へ行ってそして下山して東京へ帰る計画にちょっと不安になった。

そして後に、ここの休憩所で買ったこの杖がとても役に立ったのはもちろん、命の恩人ならぬ恩杖となった。

6合目から7合目・・だんだん岩も大きくなっていて山の勾配も急で同時刻に登っている人たちからもお喋りが消えて無言になっていた。

すると山小屋の人なのか誰なのかわからないけど男性の声で「もうすぐ大きな雲が来るから急いで上に登ってください!」と。

横を見ると大きな大きな黒い雲がだんだんこっちに向かってくる!

(え!この雲が来たら一体どうなるっていうの??え?え?)

とにかく急いで岩をよじ登って上へ向かう。

下の方で誰かが「もう登れない・・無理よ無理」「がんばれ!」と声が聞こえた。

またさっきの男性の声で「早く、早く上へ行ってください!」と。

黒い雲をあんなに真横で見たのは初めてでとても不気味で怖かった。

なんとか必死に登って雲から逃れることができた。

しばらくするとその雲から逃げ遅れた人が7合目に到着してその姿を見たら全身びっしょり。風と雨がすごかったらしい。山小屋のベンチで着替えたりタオルで頭を拭いたり横たわったり疲れ切っていた。

山って怖い・・・。その時思った。

私は軽装、しかも着替えすら持ってなかったからその嵐に巻き込まれていたら大変なことになっていた。

そんな黒い雲の上空は真っ青な天気。

今下界では大雨降ってるんだなぁと、自分だけ徳をしているようなそんな気分だった。

雲がなくなると山梨県が一望できて、その景色の美しさときたら。

富士山の大きな三角の影が山梨県を覆っている。山梨県の人々は今富士山の影に覆われていることをわかっているんだろうか、なんて思い、そしてその壮大な景色を岩の上から仁王立ちして眺め、まるで世界征服したかのような錯覚すらした。

あれは忘れられない素晴らしい景色だった。

「来てよかったーーー」と、岩に座って持参のおにぎり食べながらその時まではそう思っていた。

つづく

前回の記事です↓

富士登山

富士登山

18才の頃、一人で富士山に登ったことがある。

突発的にやりたいことを思いつき、すぐに行動してしまう。

一見すると行動力があっていいように見えるが、しっかり準備や下調べをしないと失敗や危険を伴うことが多い。

そんな当たり前のことが欠けていた。

「富士山なんて1日で行って帰って来れる」

富士山を会社の人と登った経験のある父が晩酌しながらいい気分になって「富士山なんて1日で行って帰って来れる・・」と言っていたことを鵜呑みにした。

情報はそれだけで夏休みに富士山へGO。

持ち物はおにぎりとチョコレートと飴と水筒と薄手のパーカーを小さなリュックに詰めて。

まるで遠足。

8月だったので半袖にジーンズ、靴は普通のスニーカーで。

今思えば自殺しに行くようなもの。

朝出発して、登って下山して、夜には東京に帰ってくるつもりだったのです。

もう危険極まりないおバカっぷり全開です。

「思い立ったが吉日」という言葉があるけどその言葉はしっかり調査、準備があってのことです。(自分に向けて)

結論を言うと、

死ぬかもしれない・・本当にそう思ったのはこの時初めて。

富士山は世界の山と比べて比較的登りやすいと言われているけど想像以上に大変(あたりまえだ)

舐めたらとんでもないことになります。

(とんでもないことになりました)

とにかく生きて帰ってこれたのが奇跡。

本当に奇跡でした。

あの頃はまだ携帯電話がなかった。もしあったら助けを呼んでいたと思う。とんでもない迷惑登山客です。

今でもたまにニュースで当時の自分のような軽装登山でレスキュー隊に助けられる様子が報じられているのを見ると、本当に恥ずかしくなるのと、助かってよかったなぁと心底思う。

生かしてもらった命を大切に、それからというもの「生」というものを大事に生きていこうと日々思っています。

つづく

●ぜひ反面教師として読んでもらえたらと思っています。

卓球 美誠選手

伊藤美誠難しい・・・

強気な姿勢、そしてどんな状況にも楽しむことを忘れない前向きさとメンタルの強さにはもう尊敬。

2018年の世界団体戦では突然、韓国と北朝鮮の南北合同チームが結成され、そのルール変更に批判があった中、この選手は「面白そうじゃん」と。

「強いチーム同士が合体して一人一人がエース級なんで」と。

憂慮するどころか面白そうだと。

自分もこういう思考のあり方になろうと思う。

そして見事に勝利の結果を出したのは本当に素晴らしい。

たとえ負けたとしても素晴らしい。

先日の全日本卓球選手権は石川佳純選手に惜しくも負けてしまったけど見応えのある試合だった。

石川佳純選手も素晴らしかった。

あの粘り!

古いと言われながらも見事に諦めない粘り強さでの勝利は心を動かされた。

前半、美誠選手が主導権を握っていたから流れとして当然手応えを感じていたんだろうと思う。

しかし、

ここがスポーツの面白いところ。

「勝つと思うな思えば負けよ・・」そんな歌どっかで聞いたことある。

スポニチの記事に美誠選手のコメント、

「ラリーが続いたのが楽しかった。ただ決まったと思ったボールが帰って来て足が動かなかった。どんな試合でも勝てるように力をつけたい」と涙を流しながら話た。

これを読んで「ラリーが続いたのが楽しかった・・」と試合後、悔しさでいっぱいの中でも「楽しかった」という言葉が出る冷静さ。

楽しんだ点、そして改善点をすぐ言葉で語れる賢さ。

美誠恐るべし。

「面白そうじゃん」

そんな思考のあり方でいたい。

開くほどでもない話

其の一

コンビニで購入した500mlのハイボールを水筒に詰め替えているおじさんと目が合った。

ホームでゴクゴク。

あたかも水分補給するかのように爽やかに昼から飲んでるソレは私だけが知っている。

其の二

うちの近くに美味しいパン屋さんが出来て連日行列。

私の前に並んでいた70代くらいのお二人の会話。

A「やっぱりね、パンの香りが違うのよ」

B「そうそう、うちはね豆の入ったパンが好きでよく買うの」

A「サンドイッチも美味しいわよ」

B「あれはパンが硬いでしょ」

A「うん、でも美味しいわよ」

少し世間話・・・

そして、

A「やっぱりね、パンの香りが違うのよ」

B「そうそう、うちはね豆の入ったパンが好きでよく買うの」

A「サンドイッチも美味しいわよ」

B「あれはパンが硬いでしょ」

A「うん、でも美味しいわよ」

デジャヴ。

私も家族から「その話聞いた」って言われることがある。「その話聞いた」って言われなかったら私もまた同じ話をするんだろう。

ツッコミのいない漫才はきっとこんな感じに展開していくんだろうと、列に並びながらあれやこれやと漫才について考えていた。

もとに戻すことなく、流れるがままに身を任せた会話劇。

続けて、

A「あら、こんにちは」

C「どうも・・」

B「あの人(Cのこと)上着も着ないで寒くないのかしら」

A「あの人中にいっぱい着てんのよ。ゴミ置き場の掃除するでしょ、上着着たら動きにくいんだって」

A「パンツ5枚履いてるって」

5枚!

3枚までならわかる。5枚とは!

「恐れ入谷の鬼子母神」

「びっくり下谷の広徳寺」

「驚き 桃の木 山椒の木 狸に電気に蓄音器」

寅さんだったらどれかの言葉を言ってただろう。

以上、今回は書くことが思いつかなかったので近所での出来事を書いてみました。

どうでもいいような話でした・・(いつもか)

2021

あけましておめでとうございます

本年もどうぞよろしくお願いします

大吉だった。

何年ぶりの大吉だろう。

ここ数年、小吉以下だったので素直に嬉しい。

「熟す時が来るまで待て」

「商売ーあまりお金にはならない」

「健康ー療養せよ」

いったいどこが大吉なんでしょうか。

大吉だけど油断するなよと、自分に見合ったメッセージを神様は出してくれたんだろう。

何事も健康あってのこと。

特に睡眠時間の確保と適度な運動には気を使っていきたいと思います。

ほんと、この時期だから皆さんもね。

いつもは帰省先でお正月を過ごしていたのが今年は帰省をしなかったので東京でお正月を迎えた。

お恥ずかしながらこの年でお正月の準備の大変さを知った。

お正月料理の一つ一つにちゃんと意味がある。

五穀豊穣、健康長寿、子孫繁栄・・・

伝統文化を継承していくのはなかなか大変だけどとても勉強になった。

そして今回お正月料理を作るにあたって酢の万能さに改めて驚く。

里芋は水で洗うと手がチクチクするから洗わずに泥がついたまま皮を剥くのがいいらしい。

チクチクしたら手を酢で洗う。(本当に治った)

ごぼうも酢水につけてアクをとる。

レンコンは酢水につけるとシャキシャキした仕上がり。

水だとほっこり食感に。

そういえば脂っこい食べ物に酢を入れると酸っぱくならずにさっぱり食べれる。

そしてカレーの仕上げにもバルサミコ酢を少し入れるとまろやかになって旨みが増す。

太りにくい体になる、疲労回復、掃除にも使える、除菌もできる・・・

なんて酢ばらしい!

当たり前の日常に感謝して今年も過ごしていきたいと思います!

改めて今年もよろしくお願いします

ドレミファ酢ラシドーーー!

2020 挑戦、挫折、発見、出会い

今年一年をふり返り・・・

挑戦、挫折

昨年末から今年初め頃4コマ漫画に挑戦。

しかし半年足らずでいったん中止。出直すことにした。

「オチは何?」

「どういう意味?」

致命的なことを直球で聞かれて一気にやる気を失った。(やはり修行が足りなかった・・)

仕方がない。笑

そんなことでヘナヘナする自分にも呆れる。

結局勉強もしないで安易な気持ちでやるからこうなる。

しかし何事も挑戦することに意義がある。

またいつかリベンジしますよー

目指せ、和田ラジオ!

発見

新たな手法が偶然みつかったこと。

自分が発見したのではなく他人が良さを見つけてくれたこと。

新たな魅力を他人が引き出してくれるということも、やはり作品をいろんな人に見せて発表することは大事だなとつくづく感じた。

ただいま格闘中。

すごく格闘していて夜な夜な頭を掻きむしりながら進行中。

気がついたらベートーベンのようなヘアーに。

出会い

コロナ禍でしたが、いろんな方との出会いがあった。

今年中旬、初めての装画の仕事で出会った方。

本当に素敵な方だった。

さりげない気遣いといい、かけてくれる言葉といい、それでいて言うべきことはわかりやすくきちんと伝える。

知性、気遣い、優しさ、配慮・・

見習いたいところだらけだった。

私もそういう女性になりたいとつくづく思った。

出会いはとても刺激になる。

こんな時期だけど

今年はコロナで始まってコロナで終わる。

未曽有のことだからこそ改めて気づく価値もあった。

だから悪いことばかりではない一年だったように思う。

みなさんはどうでしたか?

来年もチャレンジし続けていけるように体調管理、健康にも気をつけていきたいと思います。

ほんと、こんな時期だし体調に気をつけましょうね。

来年もどうぞよろしくお願いします。

よいお年を。

ケーキの切れない非行少年たち

その前にM1グランプリのはなしを

インディアンズ

今年のM1優勝はマヂカルラブリーだった。

個人的にはインディアンズ、見取り図のような”なにわのしゃべくり漫才”が好きです。

49歳最年長の錦鯉も、パチンコ台に扮しているスキンヘッドのボケの姿に、若くて勢いのあるコンビにはない哀愁を感じて面白かった。

あまり目立たなくて点数も低かったウエストランド、ネタ中の「お笑いは今まで何もいいことなかったやつの復讐劇」・・・これ響いた。

最後、マヂカルラブリー野田が「最下位取っても優勝することあるんで皆さん諦めないでください!」と泣きながらコメントしたのはちょっと感動してしまった。

M1が終わると一年が終わるなぁとしみじみ感じる・・・

ケーキの切れない非行少年たち

いまだに話題となってる本。

少年院などで長年治療にあたっていた臨床心理士でもあり精神科医が書いた本で、とても興味深く読んだ。

ちょっと衝撃。

反省を促し更生させる目的の施設だけど、そもそもそれ以前の問題ということが書いてある。

目から鱗。

そして彼ら(男女共)は想像する力が非常に弱いということ。

それはどうしてなのか・・・

自己肯定感を持つための昨今の教育方針「褒めて伸ばす」というそういった教育以前の問題。

社会の制度、理解が必要。

いろんなことを考えさせられた。

「罪を憎んで人を憎まず」

ん・・・

おすすめしたい本です。

美術用語

大衣

絵や額のサイズで大衣(ダイコロ)。

これをオオイと呼んでいた。

2年前、初めての展示の際、必要な額を購入しようと世界堂へ。

「オオイサイズの額を探しているんですが・・」

「??」

「あ、ダイコロサイズのことですね」

「違います。オオイです」

「ダイコロですね・・こちらです」

(ちょっと何言ってるの?通じてないの??)

「ダイコロサイズはこの列です」

「いや、いや・・・」

(だからオオイって言ってるのに・・)

どうして通じないんだろう・・頭が混乱してきて宇宙人と会話してるようだった。

しかし、そのダイコロとやらの列を見たら「大衣」という札が貼ってあって、あれあれ?・・・!!オオイではなくダイコロと読むんだと。

恥ずかしかった・・

言ってくれればいいのに・・

それはオオイではなくダイコロと読むんですよと。

何回もオオイって連呼してしまって・・・オォイ!

太子

来年2月の展示で必要なサイズの額は太子サイズ。

タイシと読むけど、もしかして違う読み方をするのかも知れない。

恥をかく前にすぐググる。

タイシで正解だった。

これで堂々と「タイシ!!」と言える。タイシ!タイシ!

マチエール・・・

ドローイングとクロッキーとデッサンとスケッチの違い。

絵をはじめた6年前、ネットで調べてやっとわかった。

美術用語はよくわからない言葉が多い。

今の時代、検索すればすぐわかるからインターネットのある時代で良かったとつくづく思う今日この頃でした。

ちなみに、

キングヌーをキンギュウと。

official髭男dismを「ひげおとこ」と訓読みした。

米津玄師 「けんし」 を 最近まで「げんし」と言っていた。

周囲は笑う。

いいんです・・別にもう。

このコロナ禍で笑いを提供できたということで。

はい。

ヒゲオトコ!! ヒゲオトコ!!

子どもには読めない昔話

以前ブログで描いた「昔ばなし」の桃太郎

小学校での読み聞かせの活動を始めて8年。

コロナ対策をして久々約1年ぶりに小学校4年生の読み聞かせをした。

先生から以前「最近の子どもたちは昔話を知らない子が多いからできれば昔話を‥」というリクエストをいただいてからなるべく昔話を選んでいくようにしている。

しかし、以前ブログでも書いたように大人になって改めて昔話を選書しようとすると残酷物語が多くて選ぶのに困る。

そんなことは大人になって気がついた。

「死ぬ」とか「殺す」とか残虐表現が当たり前のようにあるのに驚く。

グリム童話もそう。

前にも書いたように「カチカチ山」「因幡の白兎」においては凶悪犯罪物語と言っても過言じゃない。

狸も兎もやることえげつない。

因幡の白兎の悲惨さはもう・・兎の皮を剥いで潮水で洗えってちょっと・・・

昨年観た「ミッドサマー」、「死霊のはらわた」の負けず劣らずの物語。

先生、子どもたちにこれを読めと・・

「舌切りすずめ」も「はなさかじいさん」も凶悪なあばあさん、そして隣人に、スズメ、犬が残虐行為をされるという・・よく普通に子どもの時読んでたなと怖くなる。

「舌切りすずめ」は凶悪で貪欲な本性を持ったおばあさんを嫁にしてしまったおじいさんの大誤算だったに違いない。

スズメがおばあさんの作ったノリを食べてしまった量はたかが知れてる。なのに舌を切るという残酷行為。さらに執拗にスズメを探して山に行ったのは、スズメはおじいさんの愛人だったとか。そんな説もあるようです。

さらにスズメを探しに行く途中で出会う町人も残酷人。

スズメの場所を知りたければ泥水を飲め!と言う。馬の血や尿を飲め!ともいわれる。

そんなスズメの居場所と引き換えに非道な要求を求める人間が2、3人現れ、それも何とかクリアする。

おじいさん、そんなことまでしてスズメに会いたいか・・

愛人説を考えると納得するところもある。

それとも渡る世間は鬼ばかりという事か。

(そもそも渡る世間といえば・・「渡る世間に鬼はなし」。しかし今は鬼ばかりとつい言ってしまう。橋田壽賀子の影響力はすごい。笑)

おじいさんはその屈辱的な難題ををクリアし、やっとスズメに会えて帰りには素晴らしいお土産を手にするが、おばあさんに限っては泥水飲んで馬の血や尿まで飲んでやっとスズメにあったのに化け物入りのお土産をつかまされるという…

愛人説で考えると、おばあさんはおじいさんの愛人の若いスズメが憎かったんだろう・・。そして若いスズメもおじいさんの正妻に対抗し自分の存在の大きさを示したかった。きっとおばあさんが選ばなかった小さな箱にもとんでもない仕掛けがあったに違いない。

おばあさん、帰りの道中で荷物開けたからひとりで驚いただけで済んだけど、うちに帰っておじいさんのいるところで荷物開けたらと想像すると・・・またややこしくなる。

いらん想像してしまった。

そんな話が多い日本昔ばなし。

何とか残虐表現がないものを探して「ふるやのもり」と年末ということもあって「かさ地蔵」で落ち着きました。

「ふるやのもり」を読み終わって、

「結局ふるやのもりは何だったんですか?」と質問された。

「何だと思う?」

「雨!」『雨漏りじゃない?」・・と盛り上がり、考える余地を残して終了しました。

めでたし、めでたし。

以前書いたカチカチ山の残酷さを書いたブログです。

かちかち山

I・TONYA

蝶(製作は中学生)

もう12月。

年々一年が早く感じられる。特に今年は籠って過ごす日々が多くいつの間にか12月・・とみんな同じことを言う。もともとインドア派だから全然苦にならない。むしろ言い訳ができて堂々と籠もれる。

百均で買った来年の週めくりカレンダーをそろそろ飾ろうとめくってみる。

「今日という日は、残された人生の最初の1日である」

次めくると「大多数の決定がいつでも正しいとは限らない」

次は「この道より我を生かす道なしこの道を歩く」自分が選んだ道だからこそ、自分を生かすことができるという意味。そして次は「恐れは逃げると倍になるが、立ち向かえば半分になる」・・・

どの言葉も著名人が残した名言なのに、どれもあまり響いてない自分の心の純度の低さに今更ながら気がついた。😰

そんなこんなでアマプラで観た作品「I・TONYA」が生きるたくましさを感じてなかなか面白かった。

I・TONYA

監督グレイグ・ギレスビー

マーゴット・ロビー、セバスチャン・スタン、アリソン・ジャネイ

2018年公開

ネタバレしてるので知りたくない人はここで閉じてください。

そういえば昔日本でも話題になった。

90年代アルベールビル、リレハンメルオリンピックのアメリカ代表だったフィギアスケート選手、トーニャ・ハーディング。あの事件。

トーニャ・ハーディングの元夫が同じアメリカ代表のフィギアスケート選手、ナンシー・ケリガンを襲撃した事件。

その真相とトーニャハーディングの波乱万丈な物語。

これなかなか面白かった。

あの選手、幼い頃からの環境がやはり問題だったということ。

母親がとても暴力的。まさに虐待。

自分のエゴを通すことしか頭にない。

結果的にはトーニャ・ハーディングがスケートでアメリカ代表にまでなったのがこの親のエゴというところが皮肉。

そして若くして結婚したトーニャハーディングの夫。

こちらもDVが酷すぎ。

トーニャ・ハーディングも顔から血を流しながら負けずとやり返すところにすごいたくましさを感じた。

そんな環境だったんだと今更ながら思い出してかわいそうだと同情してしまった。

最初はナンシー・ケリガンを襲撃するつもりじゃなかった話。周囲の人間の変な妄想と利害でそうなってしまったという真相。

マーゴット・ロビーがあの当時のトーニャにそっくり!体型から何から。

登場人物みんなそっくり。

そっくりかどうかは最後にわかる。

当時アメリカで彼女は大バッシング。

そのバッシングにもめげず、スケートから離れたと思ったら今度はプロレスでレスラーデビュー。

また殴られて血だらけになりながらも「昔から暴力には慣れてる・・」だって。

なんとしても生き抜いていこうとする、クソ根性ぶりのたくましさに力をもらえる映画だった。