富士登山5(最終章)

富士登山4からのつづき(少し長いです)

夜の須走下山道

バイクのような車輌が通る音に向かって少しづつ、少しづつ、杖で先をツンツンしながら進む。

しばらく進むと今度は遠くの方から光がチラチラするのが見えた。

(誰か来る)

誰かが登ってくる。きっと夜から登って頂上でご来光をみる予定の人たちだった。

その光を見ただけで助かったーーと安堵。

もうこれで焦らないで大丈夫だと思った。

この安心感といったら。

そして懐中電灯を持った登山者と距離がだんだん近づいてきていよいよ至近距離になった時、その登山者が「ギャーー!」と悲鳴を上げた。

懐中電灯を照らしていた先に女の人の顔(私)が照らされたから驚いたのだ。

「人がいる!!」って言われた・・

もしかして幽霊?というような目で見られた。

そりゃそうだ。まさかこんな真っ暗な夜の富士山で懐中電灯を持たないで歩く人がいるなんて思わないだろう。

驚かすつもりはないんだけど。

続々と夜の登山者が増えてきた。

すれ違う度に悲鳴を上げられた。

だんだん増えてきた登山者たちの懐中電灯の光で足元が見えてきた。

すれ違う登山者は、私を異様な目で見ていた。

そしてなんとか助かった・・という安心感。

安心したところで足が棒のようになっているのがわる。

疲れた足を「足が棒のようになる」と表現がある。本当に棒みたいになって曲がらない・・。

あの時から何十年もたった今、足がそんな風になった経験はない。

人の多さでもうすぐ5合目だと感じる。

思うようにコントロールできない棒になった足で少しづつ進んだ。

今何時だろう・・。

やっと時計も見えてもうすぐ9時。

そんなこんなでやっと5合目。

5合目到着(なぜか御殿場)

帰りのバスもない。タクシーもない。

お土産屋も観光案内も全て閉まってる。

どうやって帰ったらいいんだろうと途方に暮れそうになった時、一軒のお土産屋のシャッターを閉めているおじさんがいた。

そこへ躊躇なく飛び込んだ。

一連の事情を話して、宿、タクシーを紹介してほしいことを伝えた。

おじさん:「昼に登って夜下山って・・・無茶苦茶な。そんな人初めて見たわ。よく怪我もしないで下山できたね・・」と穏やかに言っていたのも束の間、

「山を舐めてる!!あんたは山を舐めてる!」

怒られた。

その通り。怒られて当然でした。

そのお土産屋のおじさんから宿一覧表を見せてくれた。

その時初めて自分の場所が静岡の御殿場5合目だと知った。

あれ?山梨から登ったはずなのになぜ静岡にいるんだろう。

まぁいいや。

電話を借りて宿表の上から順番に電話をし何軒目かで予約がとれた。朝食付き一泊5千円以下だったと思う。おじさんがタクシーを呼んでくれてなんとか下山することが出来た。

ちなみに5合目まで迎車、そして御殿場の宿までタクシー代1万円くらいかかってクラクラしたのを覚えている。

宿到着(宿名も場所も覚えてない)

古びた安宿に到着し、そこの女将が私の姿を見てなんとも不審そうな顔で見られた。ものすごいドロドロの格好の若い女の人が杖持って変な時間帯に宿に来るって。変に思うのは当然だった。

女将「お風呂もお湯が少ないかもしれませんけど入ります?」

私「入ります!」

少なくなったお湯に体を平ぺったくして入った。それでもあったかくて「あ〜〜〜助かった〜〜」って初めて体の緊張が取れて心底ホッとしたのを覚えている。

怒りの電話

そして部屋からうちに怒りの電話。

「お父さん!お父さんが富士山なんて日帰りできるって言ったから登ったんだよ!そしたら大変な目に遭って・・・・」

それから何を言ったか覚えてない。とにかく怒りを父にぶつけた。

こうなったのは父のせいだ!と責任を押し付けた。

今思えば悪いのは明らかに自分。

父は無謀な登山をしたことに呆れながらとりあえず無事だったことに安心し、私の怒りに対して「俺そんなこと言ったか??俺が登った時は8合目で山小屋に泊まったぞ!」

なんだって!!

8合目で泊まったあ???

父が晩酌しながら呟いていた言葉がオーバーラップしていた。

(富士山なんて1日で登って降りて来れる・・・)

確かに父は一言も自分が登った時のことは話してない。飲んでた勢いであんな言葉が出てしまっただけ。しかしなぜあの一言を真に受けて富士山に行こうと思ったのか・・。

だから今、子どもの前ではいい加減なことは言えないなと気をつけている。

あれから何十年も経った今、まるで武勇伝を語るようにブログに書く「今」があってつくづく生かされたんだなぁ・・と思っている。

<運が良かった3点>

1.天候が良かったこと。

2.下山が砂地の多い須走下山道だったこと。(真っ暗の中、岩場の下山道はかなり危険)

3.杖があったこと。(先に何があるか、そして無いかがわかる)

もうあんな無茶なことはしないけど、リサーチもしないで思いつきですぐに行動してしまうところは今も変わってない気がする。

次の朝旅館を出て、なぜ山梨からスタートしたのに静岡にいるのか疑問に感じながら行きの中央線ではなく新幹線に乗って東京へ無事帰りました。

(1週間ほど全身が痛くてバキバキだったのを覚えています。)

そして翌年の夏、富士山から見たあの壮大な景色が忘れられなくて、性懲りもなくまた富士山へ旅立つのでした。

おわり。

(長くなってしまいました。読んでいただいてありがとうございました。)

富士登山 4

富士登山 4

前回「富士登山3」からの続き。

(思い出しながら書いていたら思った以上に長くなってしまいました。

次回で終わりにしたいと思います。💦)

9合目から頂上へ

「すいませーん、すいませーん」と後方から男性の声。

男性:「これからどういう予定で?」

なんで知らない人に自分の予定を知らせないといけないのか・・と一人だったから余計に警戒。

こんなところでナンパか??そうも思ったりした。

一応答える。

「頂上へ行って今日のうちに下山します」

男性:「懐中電灯は持ってますか?」

(もし借りたら高額請求されるかもしれない・・)

一人だったから変なとこ警戒していた。

今思えばあの男性はきっと山の警備をしていた関係の人だろうと思う。

(ナンパとは!💦)

懐中電灯を貸してくれようとしていたのに私はキッパリと「いいです!」と断った。

男性:「気をつけて下山してくださいね」と。

そして黙々と一人で頂上へ。

鳥居が見えて来た。

(もうすぐだ)

誰もいない頂上の古びた鳥居はこの世とあの世の境を感じさせるなんともいえない入り口のようにも見えた。

頂上

やっと頂上!

寒すぎる!!

季節は真夏だけど真冬の格好が必要だったと改めて大後悔。

今日本で一番高いとこにいるのは私だ!

頂上に私しかいない!これってすごいことだ!

一生懸命満喫しようとしたけど実際はとても不安で怖かった。

何が怖いって目の前の火口がデカすぎて怖い。

どこからともなく地響きするようなゴーーという音。

今、うっかり火口へ足を滑らせたら誰も助けてくれない。そんな諸々の恐怖。

そして郵便局があったのに驚いた。ここから手紙を書いて送れるようになっていた。でも夕方だったからもう閉まっていて誰もいない。

ちなみに今は頂上にも山小屋があるらしい。

当時の頂上には神社と郵便局、他には何もなかった。

寒いし、空はオレンジ色が濃くなり日が暮れ始めている。そして火口は怖いし、もう一人が怖すぎて20分くらいの滞在で下山することにした。

須走下山道

登山道とは違う下山道専用がいくつかあるのもここで初めて知った。

(どこから降りようか・・)

で、適当に降りた。

後にその適当に選んだ下山道で良かった。

須走下山道と言って道のほとんどが砂地でザクザク降りて行けるところ。

岩がたくさんある富士宮下山道だったら今ここにいなかったかもしれない。

しかし途中で別れる道がある。どっちに行こうか迷って案内板も暗くて読めない。なので適当に進んだ。結果、山梨側から登ったのに静岡側へ下りたことになった。

もし進んだ道と違う方向を選んでいたら元の山梨側へ進んでいたということが後からわかった。しかも山小屋もあった。😭(全ては調べなかった自分が悪いのです)

とにかくザクザク降りた降りた。ひたすらザクザクと。

空はだんだん暗くなる。焦る・・

そんな時、上から男性一人が下山して来るのが見えた。

この人がどんな人なのかちょっと怖いけど一人ではないという状況がだいぶホッとする。

だんだん距離が近づいてきて怖いけどホッとする。でも怖い。そんな複雑な感情。

そしていよいよ並んだ時に「こんにちは」と挨拶することなく、私を抜かしてどんどん降りていってしまった。

喉元まで「一緒に下山しませんか・・」って言いかけたが言えなかった。

そうだ、この人のペースについて行こう!そう思って頑張ったけどとても早くてどんどん離れてその人はとうとう見えなくなってしまった。

だいぶ歩いたと思って斜面を見下ろすと、まだまだ果てしなく続いているジグザグ道を見てクラクラきた。

そしてとうとう日が暮れて足元も見えないくらい真っ暗になった。

月の明かりだけが微かに頼り。

6合目で買った杖で先をツンツンしながら道を確認して少しづつ進む。

ツンツンしたところがスポンと何もないと斜面だとわかる。

危険。

この杖買って良かった、と改めて思った。

さっき9合目の途中であの男性の言う通りに懐中電灯を借りていれば、と大後悔した。

ナンパじゃなかった・・

下手に動いて斜面から滑落する危険もあることを思うとこのまま動かない方がいいのかもしれないと判断。

夜が明けるまで待とうと思った。

しかしとにかく寒い。

リュックを胸に当てて体を丸くするけど耐えられない。

少しづつでいいから前に進もうと思った。

杖で前をツンツンして道を確認しながら座頭市みたいになって進んでいたと思う。

すると近くでもなく、遠くでもないあたりからバイク?が通る音が聞こえた。

(道がある!)

そこまで行けば助けを求めることができる!と希望が見えた。

(今の時代だったら携帯で助けを求めていたと思う。当時は携帯なかった・・)

つづく。

(次回で終わりにしたいと思います。)

富士登山 3

富士登山 3

8合目へ

富士登山2からのつづき。

ほどよくお腹も満たされて、さあこれから8合目を目指してがんばるぞ!と飴を一つ口に入れて歩き始める。

ここがまたきつかった。

というより上に行けば行くほど勾配も急になっていくのでキツさが増す。

酸素もだんだん薄くなっていくので登山者の中には缶のような携帯できる酸素を取り出して呼吸している人もいた。

酸素は薄い、勾配はきつい、7合目から8合目はとても苦しかったのを覚えている。

(私は今日のうちに頂上へ行って下山して東京へ帰らなければならない)

今考えたらなぜ日帰りにこうもこだわっていたのか。もっと柔軟になれなかったのかと思う。

6合目で購入した杖がとても役に立っている。この杖なしには8合目まで行けなかったように思う。

こんなに苦しくて頂上まで行けるのか・・不安になった。

もう断念しようかと思いがよぎったが、せっかく早起きして来たんだし富士山来て頂上行かなかったら何の意味がある??しかも頂上すぐそこに見えてるし。

そんな風に思い直して振り絞って頑張ることにした。

杖に体重をかけながらヨレヨレになった仙人のように這って上へ行く。

あともうすぐで8合目。

周りの登山者も皆無言だった。

そしてようやく8合目到着。

倒れ込むように椅子に横になった・・少し休憩。

長椅子の上で仰向けになると空が広すぎて怖い。木や山や建物や鳥すら見えない空がこんなにも怖いというのを初めて知った。

そしてその空が少しオレンジ色になってきたのがさらに不安になった。

寒い・・。

リュックから薄手のパーカーと長袖のTシャツを着た。もうこれしか持ってなかった。

真冬のダウンジャケットくらいの厚手の上着が必要だったとこの時点で後悔した。

(早く登らないと今日のうちに下山してうちに帰らないと行けないから・・)

もし誰かと一緒に登っていたら、その日のうちに下山をすることにこんなにもこだわってなかったかも知れない。

もっと客観的で柔軟な考え方ができたかも知れないとこのブログを書きながら今更ながらそう思う。

ほんとんどの人が8合目で宿泊

8合目は宿泊もできる大きな山小屋がある。食事だけでなく、予約を入れていた登山客が大勢中に入っていった。

山小屋で売られている普通のラーメンがびっくりするような値段だったのを覚えている。

そりゃそうだ。水やら材料をこんな高いところまで持ってこないといけないわけだから。

大勢の人たちはここで泊まって夜中の2時頃からまた登り始め、頂上でご来光を見る。そんなコースの人が多いと知った。

(ゆっくりしてられない・・早く行かないと日が暮れちゃう)

変な焦りを感じ始めていた。

9合目へ

そしていよいよ9合目に向かって歩き出したのはいいが、たくさんいた登山者がチラホラと数えるほどしかいなくて急に不安が増した。

(あれ?あんなに大勢いたのになぜ?)

なぜ?という疑問はきっと8合目で泊まる予定の登山者側の方だろう。「なぜ夕方に頂上へ行くの?」と。

勾配はMAXにきつい。酸素は薄い。もはや修行。

振り絞る体力で何とか9合目に到着。

ゴツゴツとした岩ばかり。草も生えてない。視界の半分は斜めの大きな岩山とオレンジ色の空だけ。

人の会話も聞こえない。カラスの鳴き声もない。シーンとして不気味な静けさ。

9合目にも小さな山小屋があった。

ちらほらだった数少ない登山者はそこに入っていった。

そしてゆっくり休憩もしないでクタクタな体を起こし、とにかく増していく焦りからすぐに上へ向かった。

(早くしないと日が暮れる・・)

そしていよいよ頂上へ

あれ??

登る人が誰もいない。

あのちらほらと数えるほどしかいなかった登山者は9合目で夜を過ごすらしい。

頂上を目指すのはたった一人、私だけだった。

つづく

(もっとコンパクトに書くつもりが、いろいろ思い出してしまってまた続いちゃいました・・スイマセン💦)

前回の記事↓

富士登山 2

富士登山 2

思いつきで決めた登山道

前回のつづきです。

早朝の西武線、そして中央本線に乗って大月駅まで約2時間半、3時間くらいかかったと思う。

そこからバスで富士五合目へ。

なぜ静岡側の御殿場からではなく山梨側の大月を選んだのか。

選んだ理由も深い理由はない。

ただ中央線の方が馴染みがあったから大月を選んだのです。

静岡側、山梨側とそれぞれの登る景色や山道を調べたりとか、そんな下調べもしないで全て何となくの思いつきで決めたわけです。

山の怖さは天気の急変

そして、さぁ登るぞと思った時刻はすでに11時近かった。

五合目はほとんどが岩山。

後に登り始めた登山道が初心者向けと言われている吉田ルートだとわかった。(結果的にそこでよかった。そのことすら調べていなかった)

注意書きには、落石の原因になるので石を投げたり蹴ったりしないでくださいと張り紙があった。

五合目登山口の横に神社があって無事を祈って参拝し、いよいよ開始。

同時間に登る登山客数はけっこういて、皆お喋りしたり撮影したりワイワイ。

登る者と下山する者とすれ違うときは「こんにちは」と声をかけ合っていて登山のルールみたいなものがあるんだと少し驚いた。

私も小さな声で「こんにちは・・」と。

6合目まで1時間もかからなかったように思う。しかし6合目に着いた時けっこうきつくて休憩所のようなところで杖を購入。

6合目でこんなに疲れてしまって、しかも今日のうちに頂上へ行ってそして下山して東京へ帰る計画にちょっと不安になった。

そして後に、ここの休憩所で買ったこの杖がとても役に立ったのはもちろん、命の恩人ならぬ恩杖となった。

6合目から7合目・・だんだん岩も大きくなっていて山の勾配も急で同時刻に登っている人たちからもお喋りが消えて無言になっていた。

すると山小屋の人なのか誰なのかわからないけど男性の声で「もうすぐ大きな雲が来るから急いで上に登ってください!」と。

横を見ると大きな大きな黒い雲がだんだんこっちに向かってくる!

(え!この雲が来たら一体どうなるっていうの??え?え?)

とにかく急いで岩をよじ登って上へ向かう。

下の方で誰かが「もう登れない・・無理よ無理」「がんばれ!」と声が聞こえた。

またさっきの男性の声で「早く、早く上へ行ってください!」と。

黒い雲をあんなに真横で見たのは初めてでとても不気味で怖かった。

なんとか必死に登って雲から逃れることができた。

しばらくするとその雲から逃げ遅れた人が7合目に到着してその姿を見たら全身びっしょり。風と雨がすごかったらしい。山小屋のベンチで着替えたりタオルで頭を拭いたり横たわったり疲れ切っていた。

山って怖い・・・。その時思った。

私は軽装、しかも着替えすら持ってなかったからその嵐に巻き込まれていたら大変なことになっていた。

そんな黒い雲の上空は真っ青な天気。

今下界では大雨降ってるんだなぁと、自分だけ徳をしているようなそんな気分だった。

雲がなくなると山梨県が一望できて、その景色の美しさときたら。

富士山の大きな三角の影が山梨県を覆っている。山梨県の人々は今富士山の影に覆われていることをわかっているんだろうか、なんて思い、そしてその壮大な景色を岩の上から仁王立ちして眺め、まるで世界征服したかのような錯覚すらした。

あれは忘れられない素晴らしい景色だった。

「来てよかったーーー」と、岩に座って持参のおにぎり食べながらその時まではそう思っていた。

つづく

前回の記事です↓

富士登山

富士登山

18才の頃、一人で富士山に登ったことがある。

突発的にやりたいことを思いつき、すぐに行動してしまう。

一見すると行動力があっていいように見えるが、しっかり準備や下調べをしないと失敗や危険を伴うことが多い。

そんな当たり前のことが欠けていた。

「富士山なんて1日で行って帰って来れる」

富士山を会社の人と登った経験のある父が晩酌しながらいい気分になって「富士山なんて1日で行って帰って来れる・・」と言っていたことを鵜呑みにした。

情報はそれだけで夏休みに富士山へGO。

持ち物はおにぎりとチョコレートと飴と水筒と薄手のパーカーを小さなリュックに詰めて。

まるで遠足。

8月だったので半袖にジーンズ、靴は普通のスニーカーで。

今思えば自殺しに行くようなもの。

朝出発して、登って下山して、夜には東京に帰ってくるつもりだったのです。

もう危険極まりないおバカっぷり全開です。

「思い立ったが吉日」という言葉があるけどその言葉はしっかり調査、準備があってのことです。(自分に向けて)

結論を言うと、

死ぬかもしれない・・本当にそう思ったのはこの時初めて。

富士山は世界の山と比べて比較的登りやすいと言われているけど想像以上に大変(あたりまえだ)

舐めたらとんでもないことになります。

(とんでもないことになりました)

とにかく生きて帰ってこれたのが奇跡。

本当に奇跡でした。

あの頃はまだ携帯電話がなかった。もしあったら助けを呼んでいたと思う。とんでもない迷惑登山客です。

今でもたまにニュースで当時の自分のような軽装登山でレスキュー隊に助けられる様子が報じられているのを見ると、本当に恥ずかしくなるのと、助かってよかったなぁと心底思う。

生かしてもらった命を大切に、それからというもの「生」というものを大事に生きていこうと日々思っています。

つづく

●ぜひ反面教師として読んでもらえたらと思っています。

卓球 美誠選手

伊藤美誠難しい・・・

強気な姿勢、そしてどんな状況にも楽しむことを忘れない前向きさとメンタルの強さにはもう尊敬。

2018年の世界団体戦では突然、韓国と北朝鮮の南北合同チームが結成され、そのルール変更に批判があった中、この選手は「面白そうじゃん」と。

「強いチーム同士が合体して一人一人がエース級なんで」と。

憂慮するどころか面白そうだと。

自分もこういう思考のあり方になろうと思う。

そして見事に勝利の結果を出したのは本当に素晴らしい。

たとえ負けたとしても素晴らしい。

先日の全日本卓球選手権は石川佳純選手に惜しくも負けてしまったけど見応えのある試合だった。

石川佳純選手も素晴らしかった。

あの粘り!

古いと言われながらも見事に諦めない粘り強さでの勝利は心を動かされた。

前半、美誠選手が主導権を握っていたから流れとして当然手応えを感じていたんだろうと思う。

しかし、

ここがスポーツの面白いところ。

「勝つと思うな思えば負けよ・・」そんな歌どっかで聞いたことある。

スポニチの記事に美誠選手のコメント、

「ラリーが続いたのが楽しかった。ただ決まったと思ったボールが帰って来て足が動かなかった。どんな試合でも勝てるように力をつけたい」と涙を流しながら話た。

これを読んで「ラリーが続いたのが楽しかった・・」と試合後、悔しさでいっぱいの中でも「楽しかった」という言葉が出る冷静さ。

楽しんだ点、そして改善点をすぐ言葉で語れる賢さ。

美誠恐るべし。

「面白そうじゃん」

そんな思考のあり方でいたい。

開くほどでもない話

其の一

コンビニで購入した500mlのハイボールを水筒に詰め替えているおじさんと目が合った。

ホームでゴクゴク。

あたかも水分補給するかのように爽やかに昼から飲んでるソレは私だけが知っている。

其の二

うちの近くに美味しいパン屋さんが出来て連日行列。

私の前に並んでいた70代くらいのお二人の会話。

A「やっぱりね、パンの香りが違うのよ」

B「そうそう、うちはね豆の入ったパンが好きでよく買うの」

A「サンドイッチも美味しいわよ」

B「あれはパンが硬いでしょ」

A「うん、でも美味しいわよ」

少し世間話・・・

そして、

A「やっぱりね、パンの香りが違うのよ」

B「そうそう、うちはね豆の入ったパンが好きでよく買うの」

A「サンドイッチも美味しいわよ」

B「あれはパンが硬いでしょ」

A「うん、でも美味しいわよ」

デジャヴ。

私も家族から「その話聞いた」って言われることがある。「その話聞いた」って言われなかったら私もまた同じ話をするんだろう。

ツッコミのいない漫才はきっとこんな感じに展開していくんだろうと、列に並びながらあれやこれやと漫才について考えていた。

もとに戻すことなく、流れるがままに身を任せた会話劇。

続けて、

A「あら、こんにちは」

C「どうも・・」

B「あの人(Cのこと)上着も着ないで寒くないのかしら」

A「あの人中にいっぱい着てんのよ。ゴミ置き場の掃除するでしょ、上着着たら動きにくいんだって」

A「パンツ5枚履いてるって」

5枚!

3枚までならわかる。5枚とは!

「恐れ入谷の鬼子母神」

「びっくり下谷の広徳寺」

「驚き 桃の木 山椒の木 狸に電気に蓄音器」

寅さんだったらどれかの言葉を言ってただろう。

以上、今回は書くことが思いつかなかったので近所での出来事を書いてみました。

どうでもいいような話でした・・(いつもか)

2021

あけましておめでとうございます

本年もどうぞよろしくお願いします

大吉だった。

何年ぶりの大吉だろう。

ここ数年、小吉以下だったので素直に嬉しい。

「熟す時が来るまで待て」

「商売ーあまりお金にはならない」

「健康ー療養せよ」

いったいどこが大吉なんでしょうか。

大吉だけど油断するなよと、自分に見合ったメッセージを神様は出してくれたんだろう。

何事も健康あってのこと。

特に睡眠時間の確保と適度な運動には気を使っていきたいと思います。

ほんと、この時期だから皆さんもね。

いつもは帰省先でお正月を過ごしていたのが今年は帰省をしなかったので東京でお正月を迎えた。

お恥ずかしながらこの年でお正月の準備の大変さを知った。

お正月料理の一つ一つにちゃんと意味がある。

五穀豊穣、健康長寿、子孫繁栄・・・

伝統文化を継承していくのはなかなか大変だけどとても勉強になった。

そして今回お正月料理を作るにあたって酢の万能さに改めて驚く。

里芋は水で洗うと手がチクチクするから洗わずに泥がついたまま皮を剥くのがいいらしい。

チクチクしたら手を酢で洗う。(本当に治った)

ごぼうも酢水につけてアクをとる。

レンコンは酢水につけるとシャキシャキした仕上がり。

水だとほっこり食感に。

そういえば脂っこい食べ物に酢を入れると酸っぱくならずにさっぱり食べれる。

そしてカレーの仕上げにもバルサミコ酢を少し入れるとまろやかになって旨みが増す。

太りにくい体になる、疲労回復、掃除にも使える、除菌もできる・・・

なんて酢ばらしい!

当たり前の日常に感謝して今年も過ごしていきたいと思います!

改めて今年もよろしくお願いします

ドレミファ酢ラシドーーー!

2020 挑戦、挫折、発見、出会い

今年一年をふり返り・・・

挑戦、挫折

昨年末から今年初め頃4コマ漫画に挑戦。

しかし半年足らずでいったん中止。出直すことにした。

「オチは何?」

「どういう意味?」

致命的なことを直球で聞かれて一気にやる気を失った。(やはり修行が足りなかった・・)

仕方がない。笑

そんなことでヘナヘナする自分にも呆れる。

結局勉強もしないで安易な気持ちでやるからこうなる。

しかし何事も挑戦することに意義がある。

またいつかリベンジしますよー

目指せ、和田ラジオ!

発見

新たな手法が偶然みつかったこと。

自分が発見したのではなく他人が良さを見つけてくれたこと。

新たな魅力を他人が引き出してくれるということも、やはり作品をいろんな人に見せて発表することは大事だなとつくづく感じた。

ただいま格闘中。

すごく格闘していて夜な夜な頭を掻きむしりながら進行中。

気がついたらベートーベンのようなヘアーに。

出会い

コロナ禍でしたが、いろんな方との出会いがあった。

今年中旬、初めての装画の仕事で出会った方。

本当に素敵な方だった。

さりげない気遣いといい、かけてくれる言葉といい、それでいて言うべきことはわかりやすくきちんと伝える。

知性、気遣い、優しさ、配慮・・

見習いたいところだらけだった。

私もそういう女性になりたいとつくづく思った。

出会いはとても刺激になる。

こんな時期だけど

今年はコロナで始まってコロナで終わる。

未曽有のことだからこそ改めて気づく価値もあった。

だから悪いことばかりではない一年だったように思う。

みなさんはどうでしたか?

来年もチャレンジし続けていけるように体調管理、健康にも気をつけていきたいと思います。

ほんと、こんな時期だし体調に気をつけましょうね。

来年もどうぞよろしくお願いします。

よいお年を。

ケーキの切れない非行少年たち

その前にM1グランプリのはなしを

インディアンズ

今年のM1優勝はマヂカルラブリーだった。

個人的にはインディアンズ、見取り図のような”なにわのしゃべくり漫才”が好きです。

49歳最年長の錦鯉も、パチンコ台に扮しているスキンヘッドのボケの姿に、若くて勢いのあるコンビにはない哀愁を感じて面白かった。

あまり目立たなくて点数も低かったウエストランド、ネタ中の「お笑いは今まで何もいいことなかったやつの復讐劇」・・・これ響いた。

最後、マヂカルラブリー野田が「最下位取っても優勝することあるんで皆さん諦めないでください!」と泣きながらコメントしたのはちょっと感動してしまった。

M1が終わると一年が終わるなぁとしみじみ感じる・・・

ケーキの切れない非行少年たち

いまだに話題となってる本。

少年院などで長年治療にあたっていた臨床心理士でもあり精神科医が書いた本で、とても興味深く読んだ。

ちょっと衝撃。

反省を促し更生させる目的の施設だけど、そもそもそれ以前の問題ということが書いてある。

目から鱗。

そして彼ら(男女共)は想像する力が非常に弱いということ。

それはどうしてなのか・・・

自己肯定感を持つための昨今の教育方針「褒めて伸ばす」というそういった教育以前の問題。

社会の制度、理解が必要。

いろんなことを考えさせられた。

「罪を憎んで人を憎まず」

ん・・・

おすすめしたい本です。